バルビゾン派の影響を受けた19世紀の風景画

アルノ河南地区
03 /04 2017
フィレンツェの支配者であったメディチ家が住んでいたピッティ宮殿。
その中には多くの美術館が併設されています。ラッファエッロやルーベンスの絵があるパラティーナ美術館からさらに階段を登った3階にある「「La Galleria d'arte moderna 近代美術ギャラリー」の作品と部屋を紹介する第10弾!

※「近代美術ギャラリー」は、2013年から「パラティーナ・ギャラリー」「モニュメンタル・アパートメント」「近代美術館」の3つがセット料金チケットとなっています。

Sala 9
バルビゾンとはフォンテヌブローの森に隣接した村の名前です。
19世紀にジャン=フランソワ・ミレーに代表される風景画家たちがここに集まったので「画家たちの村」と呼ばれました。

1856年、年明けの数ヶ月はカフェ・ミケランジェロ(カヴール通りにあったカフェで画家たちの集会所でした。特にマッキャイウォーリ派の活動拠点)の会合にて最も討論されたのが「風景画」でした。
パリの滞在から戻ってきたばかりのSerafino De Tivoliの熱狂的な語りが注目されました。
彼が語った「明暗の全部を捉えることを可能にする」という魅惑の表現は「マッキア(点描)」のことを指していました。

バルビゾンの詩的な画風へ倣うことが即座に同意され、実施されます。彼らはスタッジャ派(ポッジボンシの近郊の地名)と呼ばれ、前述のDe Tivoliの他に、CarloとAndreaのMarkò兄弟などがいました。ロマン主義の風景画の感動を超え、新しい風景画を生み出していきます。

その作風はフォンタネージ(1876年に工部美術学校の教師として来日しています)の作品に結実し、17世紀のモデルから解放された「最も分析的な自然主義」と呼ばれました。

「サンタ・トリニタ橋下のアルノ川」アントニオ・フォンタネージ作
artemoderna17

「フローラ」ジョヴァンニ・デュプレ作
artemoderna18
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。