アテネ公の追放

アルノ河南地区
03 /11 2017
フィレンツェの支配者であったメディチ家が住んでいたピッティ宮殿。
その中には多くの美術館が併設されています。ラッファエッロやルーベンスの絵があるパラティーナ美術館からさらに階段を登った3階にある「「La Galleria d'arte moderna 近代美術ギャラリー」の作品と部屋を紹介する第16弾!

Sala15
1861年のイタリアの博覧会においてステファノ・ウッスィ作「アテネ公の追放」が成功を収め、伝統的な歴史テーマが新しい美術を追い求める時代にあってもまだ人気があることを示しました。

実際に、ウッスィの絵は伝統の歴史テーマがたどり着いた頂点を示しています。
彼の作品にはしっかりとした量感、強い明暗、リアルを反映した自然の情景が際立っています。

ウッスィはピエトロ・ベンヴェヌーティとジュゼッペ・ベッツオーリの弟子で、大きな画面に歴史テーマを描くジャンルで成功し、アカデミア派の環境で名声を得ました。

「アテネ公の追放」ステファノ・ウッスィ作
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14世紀にアテネ公グアルティエリという、フランス系の貴族がいました。
グアルティエリはフィレンツェ共和国の長官として迎え入れられます。
ちょうどフィレンツェは、イギリス王エドワード3世がフィレンツェの銀行から借りた金の返済をしなかったことから、経済危機を迎えていました。銀行の破産と疫病ペストの蔓延、これが時代の様相を暗いものにしていました。
外国人を長官に据えるのは、グエルフィ派とギッベリーニ派の闘争時代、一方の党派に有利な政策が行われないように、双方につながりのない外国人を使うようになっていたからです。もちろん期限つきでした。

ところがグアルティエリは50年前にフィレンツェから追放され地方領主となっていた貴族と結び、フィレンツェに専制支配を敷こうとしました。こうしてわずか長官に指名されて10ヶ月後にフィレンツェは彼に叛旗を翻し、1343年7月26日(聖アンナの日)アテネ公は追放されます。
僭主を追放したこの事件はフィレンツェ市民の間で、まるで伝説のように扱われている出来事なのです。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。