ポルトフェッライオ監獄

アルノ河南地区
03 /14 2017
フィレンツェの支配者であったメディチ家が住んでいたピッティ宮殿。
その中には多くの美術館が併設されています。ラッファエッロやルーベンスの絵があるパラティーナ美術館からさらに階段を登った3階にある「「La Galleria d'arte moderna 近代美術ギャラリー」の作品と部屋を紹介する第19弾!

Sala 18
この部屋には1912〜1925年にフィレンツェ市の保管所に入ったマッキャイオーリ派と他派の作品が展示されています。
この時期は国とフィレンツェ市の協定が結ばれ、マッキャイオーリ派の作風の類似性や相違性が値踏みされ、豊かな目録が作られていきました。その中には、マッキャイオーリの最高峰であるファットーリとシニョリーニの作品も含まれていました。

光を重ねて濃厚にしたようなヴィート・ダンコーナの作品、実在の形態や光を詩的に結びつけたアッバーティ、セルネーズィ、ボッラーニの作品。これらはファットーリの芸術の進化に対して、視覚的に理論的に対照的な作品でした。

ファットーリは1859年にリヴォルノやカスティリオンチェッロにて、最初の「マッキエ(染み、斑点)」による作品を表現し、この時代までその作風の優位性は確固たるものでした。
その光を保ちつつ、動きに磨きをかける傾向があわられてきます。これは国際的な経験を持ったシニョリーニに見つけることができます。

「湿地帯」ファットーリ作 1894年
arte moderna38
トスカーナ州のマレンマ地方の情景です。

「あぶみから足を踏み外した男」ファットーリ作 1878年
artemoderna39

「ポルトフェッライオの監獄」テレマコ・シニョリーニ作
artemoderna40
作品のイタリア語の題名は「Bagno penale a Portoferraio」
bagnoはもともと浴場を表す言葉ですが、リヴォルノでもと浴場が監獄に使われたことから、「終身労役刑囚を収容した監獄」を示すようになりました。
囚人の右端はカルミネ・クロッコで、イタリア統一直後、南イタリア山岳地帯の盗賊団を統率したテロリスト(brigante)の有名な人物です。ブリガンテは「反統一」「反サボイア」「反リソルジメント」を唱え、新政府に抵抗しました。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。