イタリアの原子力発電 スリーマイル〜チェルノブイリ〜国民投票1987

ちょっとかじる歴史の話
04 /28 2017
今日は、ちょっと趣向を変えてイタリアの原子力発電所について書きます。

イタリアにおける原子力発電は1963〜1990年の間に行われていましたが、発電所の寿命年数に達し閉鎖されました。停止決定には1987年の国民投票の結果が大きく影響しています。

その後、2005〜2008年の頃に原子力発電の再導入が図られましたが、2011年の国民投票により再び否決されました。


イタリアにおける原子力発電は60年代に遡ります。1966年にはイタリアは世界で、アメリカ合衆国とイギリスについで第3位の原子力発電量を持っていました。

原発は以下の4箇所にあります。
ラティーナ(ラツィオ州)58年着工 63年運転開始 87年運転停止
ガリリアーノ(カンパーニャ州)59年着工 63年運転開始 82年運転停止
エンリコ・フェルミ(ピエモンテ州)61年着工 64年運転開始 90年運転停止
カオルゾ(エミリア・ロマーニャ州)70年着工 77年運転開始 90年運転停止

60年代に運転を開始した3箇所はそれぞれ、マグノックス炉、沸騰水型原子炉、加圧水型原子炉とタイプの違うものでした。
最初の原子力発電所はラティーナのものとなりますが、当時のヨーロッパレヴェルでは最も発電量が大きかった(153MW)そうです。
3つの原発の発電総量は、国の需要の3〜4%を賄うほどでした。

そして1970年に4番目の発電所カオルゾの建設が開始されます。

1975年の「国家エネルギー政策  Piano Energetico Nazionale (PEN)」によれば、原子力発電量を増やす方向性が示されています。
この時点で稼動中の3箇所+建設中のカオルゾに加えて、さらに新しい原発を建設する計画がありました。
予定地はモンタルト・ディ・カストロ(ラツィオ州)トリーノ(ピエモンテ州 大都市TorinoではなくTrino)でした。

しかし1979年のスリーマイル島の事故(原子炉冷却材喪失事故、国際原子力事象評価尺度においてレベル5の過酷事故)により、原発の安全性が論議されるようになります。

1982年 ガリリアーノ原発において故障発生、運転停止となります。
1986年 チェルノブイリ原発事故
1987年 イタリア国民投票 5つのテーマに関して国民の意思が問われます。

国民投票の要望を出したのはラディカル党、イタリア自由党、イタリア社会党
投票率 65,11%

テーマの一つが「原子力発電所の位置の決定」に関する質問
「地方自治体が原子力発電所建設を許可しない場合、国は作業を停止すること」
賛成  80,57%
反対  19,43%

この国民投票では、稼動していた原発まで運転停止を求める内容ではなかったことがわかります。

次回に続きます!

参照
Energia nucleare in Italia
Referendum abrogativi del 1987 in Italia
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。