エトルリアの墓〜2〜

ちょっとかじる歴史の話
05 /08 2017
古代ローマよりも古い時代に中部イタリアに栄えたエトルリア文明。次第にローマ支配に吸収されながらも、その文化はローマ帝国に多くの影響を与えたと言われます。その古墳が時代によってどのように変化してきたのか見ていく第2弾です。

Tombe a tholos トロス型 orientalizzante時代の終わり(紀元前6世紀)
ギリシャのミケーネの建築に由来するのがトロス型です。
古代のクーポラ建設の最初の例の一つとされます。丘に接して建設され、円形のホールの中央には角柱がありました。
エトルリア人の貴族の棺は大きな円形の空間の横にある小さな部屋に設置されました。
エトルリア北部で使用されたタイプでは、トロスは四角い平面図を持ち、ポプロニアやヴェトゥロニアなどでプロトタイプが発見されています。
トロスはファミリーや部落が何世代にも渡って使用する古墳でした。

フィレンツェ郊外のセストフィオレンティーノにある「モンタニョーラの墓」
エトルリア墓4

Tombe a edicola 小神殿型 紀元前6〜5世紀
エトルリア墓5
開かれた空間に建設される、部屋が一つだけの古墳で、非常に珍しいタイプです。小神殿の形は、エトルリア人にとっては生命が終わり死に向かう旅の途中のポイントであることを示しています。

Tombe a dado o a cubo サイコロあるいはキューブ型 紀元前6〜2世紀
エトルリア墓6
岩壁の凝灰岩をくり抜いて作られる古墳です。
四方を岩で囲まれた空間となるためにキューブ型と呼ばれます。一辺には本物のドアか偽物のドアが作られます。死への通過を暗示するためです。
埋葬の空間はサイコロ型古墳のファサードの下にあり、廊下dromosによって入れるようになっていました。

Tombe a colombario 納骨堂型 紀元前3世紀〜
いくつかの部屋がつながる形をしてました。壁には20 – 30 cmの空間が掘られ、そこに遺灰壺や容器を置くようになっていました。これは階級の低い人々の古墳でエトルリアの末期からローマ帝国時代まで使われていきます。

Tombe a pozzo 井戸型 紀元前2〜1世紀
紀元前10〜9世紀に使われた「井戸型」に比べるとかなり深く、10mにも及んだことから本当の井戸のように見えました。井戸の底に埋葬部屋が作られ、そこまでは壁に掘った切り込みを階段がわりにしたり、井戸の壁に階段を掘ったりしました。

ちなみにオルヴィエートの町で「アンダーグラウンドツアー」という岩盤を掘った空間の見学に参加した時に、エトルリア人の井戸を見ました。やはり井戸の壁に上下に並んだ穴がたくさん掘られていて、そこを足場にして穴掘り人が井戸を作ったんだよと説明されました。
→「エトルリア人の井戸

エトルリアの古墳の型を時代ごとに追ってきました。
ちなみにフィレンツェの考古学博物館の庭には各地で見つかったエトルリア古墳が移築されているので、様々なタイプの古墳を一緒に見ることができますよ。

参照 tombe etrusche
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。