斜塔広場の牝狼像はムッソリーニ訪問記念

ピサ県
06 /16 2017
ピサの斜塔の北側に、古代ローマのシンボルである牝狼が設置されています。
lupa

これは時代によって姿を変えてきたピサ大聖堂広場にとって、最後に設置されたものでした。この牝狼によって、広場は今の姿になったのです。
時代順に広場の変化の様子を見てみましょう。

1064年 大聖堂着工。海洋国ピサのロマネスク様式の頂点となる建築です。当時のピサ人はアラブの国と交易を行い、その文化様式の美しさに衝撃を受けたと言われます。

町を守る市壁の拡張工事が行われます。大聖堂着工当時は、大聖堂が壁外に位置していたのです。

1152年 洗礼堂着工

1172年 鐘楼(ピサの斜塔)着工

1277年 カンポサント着工

15世紀 フィレンツェによるピサ共和国支配。それまでは広場にはレオーネ門から入る形でしたが、この門はフィレンツェ人によって閉ざされ、サンタマリア門が築かれます。

メディチ家からロレーナ家の支配の時代、4つのモニュメントの周りには多くの建築物が建設されました。

19世紀 建築家アレッサンドロ・ゲラルデスカによって、メディチ〜ロレーヌ時代の建築は取り壊され、広場は中世の姿を取り戻します。

20世紀 ファシズムの時代。ムッソリーニがピサを訪問した記念に、古代ローマのシンボル牝狼の像を円柱に載せたモニュメントを設置。周囲には植えられた17本の糸杉は戦争で命を落とした兵士に捧げられたものでした。

1987年 ユネスコの世界遺産に登録

2003年 偶然に10世紀の大聖堂の遺跡が発見されます。現在の大きな大聖堂を作るために完成されなかったと考えられています。また古代ローマ時代の遺跡や住居跡、そして洗礼堂の周囲から7世紀のランゴバルド族の墓も発見されました。

この発掘の時に考古学者の人が「広場の地質は非常に高い酸性」だと言っていました。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。