メディチより大きな宮殿を!

フィレンツェ市
07 /14 2017
フィレンツェのストロッツィ宮殿は、イタリアでも最も「ルネッサンス風の宮殿」の一つです。
以前に存在していた15の建築を取り壊した空間に建設された、大きな宮殿です。
宮殿2階にてしばしば行われる特別展の様子を、この日記でも紹介してきました。
ストロッツィ宮殿1
ルネッサンスのフィレンツェ市民の邸宅として代表的な存在であり、フィリッポ・ストロッツィの希望により建設されました。
フィリッポはフィレンツェの裕福な商人で、メディチとはライヴァル関係にありました。

1434年 ストロッツィ家はメディチ家に敵対した為、フィレンツェから追放されます。
1466年 ナポリで銀行家として成功したフィリッポはフィレンツェに帰還、宮殿の建設を決意します。

土地の買収にはロレンツォ豪華王の力添えがあり、ストロッツィ家に対する条件は
「公証人による承認の同年に着工すること」
「建設は中断なく行われること」
これらが破られた場合は土地没収の罰が与えられることになっていました。

1489〜1490年 ジュリアーノ・ダ・サンガッロにより建設モデル
(しかしヴァザーリはロレンツォ豪華王のお気に入りの建築家ベネデット・ダ・マイアーノの名を挙げています)

1489年 着工
1491年 フィリッポ・ストロッツィ逝去
1507年 地上階に住み始める
ストロッツィ宮殿2
最上階に差し掛かった頃にベネデットは亡くなり、シモーネ・デル・ポッライオーロ(またの名はイル・クロナカ)があとを継ぎます。

1538年 バッチョ・ダーニョロの手により完成。

1864年 ジュゼッペ・ポッジにより、トルナブオーニ通り側のpanca di via(通りのベンチ)が取り付けられます。

メディチ宮殿に似ていますが(三階建て、外壁はブニャート仕上げなど)さらに大きな宮殿を作ろうとしたフィリッポの意図が見られます

宮殿は1937年にINA(Istituto Nazionale delle Assicurazioni)によって買い取られるまで、ストロッツィ家が所有し続けました。
1999年からは国有となっています。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。