スペダーレ・デイ・イノチェンティ

フィレンツェ市
11 /02 2010
ルネッサンス時代の代表的な建築家ブルネレスキが大聖堂のドームとほぼ同時期に建築したのが、孤児と捨て子を養育する施設オスペダーレ・デリ・イノチェンティでした。18歳までの孤児の養育と職業訓練のための施設です。
ospedali dei innocenti1

イノチェンテとは「純真な、無垢な」という意味で、新約聖書の「幼児虐殺」のエピソードを「la strage degli innocenti」と呼ぶことから来ています。

1419年にスポンサーであるフィレンツェ絹織物組合はこの用地をアルビッツィ家から買い、ブルネレスキに設計を依頼しました。
当時のフィレンツェには30~40の救貧院があり、千人を収容できましたが、孤児養育院の建設はヨーロッパでも初の試みで、フィレンツェ市民の福祉意識の高さが伺えます。
優雅に連なるアーチとそれを支える円柱(コリント式)の列は建築のルネッサンス様式の初の例とされます。円柱の高さはアーチの直径に等しくなっています。

アーケードの隅に今も子供の受付台があります。
ospedale dei innocenti2
子供が生まれても育てることができない親は、この受付台にこっそりと子供を置いて養育を託したのでした。
ospedale dei innocenti3
今は鉄さくが嵌っている部分に木製の円筒形の回転する受付台がありました。これをruotaあるいはrotaと呼んでいました。内部は仕切りで2部分に分けられていて、片方が壁の外側、もう片方が内側にあり、穴にすっぽり嵌っていて、ぐるぐる廻るようになっていました。以前は呼び鈴があり、子供を預ける時に内部の人間に知らせることができるようになっていたそうです。

2006年にローマの病院でこのシステムを蘇らせました。赤ん坊を殺したり、道ばたに棄てるのなら、病院に預けて下さいという試みです。

こちらは捨て子養育院の中庭
museo degli innocenti2
中庭を中心に事務局、食堂、大部屋、地下に作業室や工房を設けました。ブルネレスキはドームの建設で忙しかったため、途中からこの建築はフランチェスコ・デッラ・ルーナの任せられました。そのためブルネレスキの原案の変更を受けることになったそうです。この中庭もフランチェスコの設計に依るものです。
porta dell'arte della seta
建築に見られる装飾モチーフ「扉」は「絹織物組合」のシンボル。また「階段」は「サンタマリア・デッラ・スカーラ病院」のシンボル。そして「鶏」は「サンガッロ病院」のシンボルとなります。

今でもこの建築は、保育園や小学校、ユニセフのオフィスなど、こどもの養育に関連した施設として使われています。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。