フィレンツェの歴史において、行政のわかりにくい役職名をまとめてみました。

12世紀までフィレンツェはマティルデ女伯の所有する封建所領のひとつに過ぎませんでした。
レットーリ(総代) 町内会から選ばれた複数の代表者が領主や司教代理との交渉に当たりました。

1115年 マティルデ女伯の死によりフィレンツェその他のトスカーナの都市はコムーネ(自治都市)になります。
コンソレ(行政長官) 有力貴族の中の最有力一門がつくった最初の政治機関。正式な機関へと権威を増していきます。

コンタード(近隣)へ勢力拡大したフィレンツェには、封建領主層の臣下の騎士たちが流入し、古い都市貴族と融合して「塔仲間」という団体が形成されます。13世紀にはフィレンツェに約300の塔が立ち並びました。これはいくつかのグループが生まれたこと、分裂が進んだことを意味します。ここでコンソレから外れたメンバーによる政権の奪い合いが始まります。
ポデスタ(市長官制度) 党派間の対立を中立の立場で裁くために生まれます。貴族出身の外国人が任期1年で勤め、外国との条約締結、司法権の行使、軍事最高司令官が仕事の内容。

1250 プリーモ・ポーポロ(第一次民主政)平民層(とくにカリマーラ組合の大商人)が貴族たちの勢力争いに不満を持ち、上層市民の政治参加権を得ます。ポデスタはそのままに、自分たちの新しい機関の創設を図りました。
アンツィアーニ(長老委員) 6区から2名ずつの平民を選出し、任期1年で各区を治めます。
カピターノ・デル・ポーポロ(平民長官)貴族出身で外国人、司法の仕事と市民軍の司令官が仕事の主なものです。

この二職だけが法案の提出権を持つことになります。富裕な平民の政治への明確な進出を意味するものでした。

争いが生じた時にそれをおさめるため、カピターノ・デル・ポーポロの下に置かれたのが
ゴンファローネ 各区のアルテ(組合)代表20名と、コンタードから集められた96名の兵

1282 フィレンツェでの商工業がますます発展し、アルテ・マッジョーレ(7大組合)の影響力拡大により、制度改革を導きます。これがプリオーリ制あるいはシニョーリア制と呼ばれるものです。
プリオーリ(主席)フィレンツェ6区の大組合から1人ずつ、全部で6人のプリオーリを選び、シニョーリア会議を構成します。立法権はこの機関の占有となります。

1293年 セコンド・ポーポロ(第二次民衆制)9つの中組合のメンバーもプリオーリ体制の中へ参加できるように改組し「正義の規定」を成立させます。
ゴンファロニエーレ・ディ・ジュスティーツィア(正義の旗手) 6人のプリオーリに加えて作られた役職です。ポデスタの法廷で有罪とされたマニャーティ(御大家、優越支配グループの家)の刑の執行をする権利を持ち、1000名の兵を直轄下に置くことが認められました。

参考文献 「マキャベリ」家田善隆著 中公新書