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ギルランダイオの「最後の晩餐」オニッサンティヴァージョン

フィレンツェ市
11 /08 2010
ミケランジェロの師匠でもあり、15世紀のフィレンツェでもっとも人気があった芸術家の一人ドメニコ・ギルランダイオ。彼はフィレンツェとその郊外の修道院に3回「最後の晩餐を描きました。その比較をしてみたいと思います。
1480年 オニッサンティ教会ヴァージョン(教会左横の扉から修道院の中庭に入れます)
cena di ognissanti

作品はローマのシスティーナ礼拝堂の装飾のためにまさに出発しようとしているギルランダイオに依頼されました。この頃ギルランダイオオニッサンティ教会の「聖ヒエロニムス」も担当していたのです。
修復中にシノピア(フレスコ画の下絵)が発見され、現在は同じ部屋に展示されています。シノピアと比べると、使徒の仕草や細かい部分が改変されているのがわかります。特に左半分は表現が豊かになっています。

この後に描いたサン・マルコ修道院の作品はオニッサンティより小さいのですが、とても近いスタイルです(1486)
開放的な空間が「裏切り者の告発」というドラマ性を軽くしていると批判する学者もいます。

食堂の入り口の反対側の壁、二つのルネッタ(半円)の下に描かれた、オニッサンティフレスコ画ギルランダイオはここで伝統的であった「閉鎖空間を遠近法で表わす箱スタイル」を棄て、開廊に舞台を設定しています。また開廊は描かれた部屋の形に添っており、まるで見ている人間が最後の晩餐の舞台にいるかのように錯覚させます。窓の位置、窓から入る光もリアルな空間に合わせてあります。(現実の部屋の窓も左の壁にあります)
色彩は明るく柔らかい色調でまとめてあります。

テーブルは「U」字型で、使徒達はテーブルの片側に並んでいます。イエスの告発に対して使途達は2人1組でそれぞれの態度で反応を示します。ピエトロはナイフも持ち上げ師匠を守ろうとしていますし、他の使徒は告発について話し合っています。緑の洋服を来た若い使徒(トマス?)は右手をテーブルにつけて、ユダに鋭い視線を送りながら、席を立とうとしています。右端の二人は自分の胸を指し、イエスの言葉が自分のことを示しているのか尋ねるかのようです。
ドラマ性は抑制されて、静かな表現です。ユダさえも静かな態度を取っています。ユダは伝統にそって、テーブルの反対側に位置しており、イエスの右ではヨハネがイエスにもたれかかってまどろんでいます。イエスの頭部は近代の下手な修復の結果で、色彩が薄くなっています。

テーブルの上の食事が見えますが、フランドルの作品を研究したギルランダイオは細部まで静物をリアル感を持って描いています。アッシジ風の刺繍が施されたテーブルクロスや、左端にある金属のつぼの光り方ま緻密な表現です。
開廊の向こうには庭があり、鳥達が飛んでいますが、全てシンボルとして意味が込められています。
シュロは殉教、ザクロや花瓶の赤い薔薇は血、鳥のつがいは巡る自然のサイクル、クジャクは不死を表わします。
ハヤブサとその獲物のカモとヒワ。庭の木は柑橘類、リンゴ、ナツメヤシがあります。これらのフルーツはテーブルの上にも見られます。サクランボ、水やワインのはいった容器、パン、ハム、チーズ。例えばピエトロのグラスは今飲み干したかのように空になっていて、チーズを一切れ、切ろうとしているかのようです。このような細かい描写は北ヨーロッパの影響です。

椅子の端の入っている文字は十字架を二つ重ね、OSS そしてCの中にIです。これはオニッサンティのラテン語読みOmnes Sanctiの略です。

長くなったので、他の「最後の晩餐」は次回に・・・
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住26年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。

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