ミラノは、イタリアでローマについで人口が多い町です。
人口(135万人)を擁し、英語ではミラン、ラテン語ではメディオラーヌムと呼ばれます。
緯度では日本の稚内市にあたります。

簡単にミラノの歴史をまとめました。
【古代】
紀元前600年 ケルト人(中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物で持ってヨーロッパに渡来した民族)の町が形成されます。古代ローマは彼らをガリア人とも呼びました。

紀元前222年 ローマが征服。町の名前Mediolanumは「平原の真中」という意味。

286〜402年 西ローマ帝国の首都に(その後ラヴェンナに遷都)

450年ごろ アッティラに指揮されたフン族の略奪
539年   ゴート族に破壊されました。
8世紀末ごろ 再び繁栄が始まります。

【中世】
大司教に統治されながら都市の独立性を一部保ち、次第に大司教の世俗的支配から脱していきました。
東ゴート王国 → 東ローマ帝国 → ランゴバルド王国と移り変わります。

11世紀 貴族たちにより富裕な自治都市へと変化。神聖ローマ帝国から独立。

1162年 町は神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世の軍隊に破壊されるも復興、ロンバルディア同盟を結成。
1176年 レニャーノの戦いでフリードリヒ1世を打ち破り、新しい繁栄の時代へ。

1277年 13世紀からシニョーリア体制をとる中、この年に貴族のヴィスコンティ家が、領主のデッラ・トッレ家からミラノの統治権を奪います。

【ミラノ公国】
1395年 ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが初代ミラノ公に(ヴィスコンティ家の支配は1447年まで)
1450年 軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を掌握。その息子ルドヴィーコは学芸の保護にも熱心でレオナルド・ダ・ヴィンチをミラノに迎えました。

1500年 フランス軍がミラノを占領。

(レオナルドはこの時にミラノを去るものちに再訪、約二十数年の滞在でミラノ派とよばれる画派を生みます)

スフォルツァ家はフランス、スイス、オーストリアにあやつられながらも支配をつづけました。

1535年 スフォルツァ家の血筋が途絶え、ミラノ公国終焉。スペイン支配下へ。

【外国の支配】
1559年 イタリア戦争後のカトー・カンブレジ条約でミラノは神聖ローマ帝国支配下に置かれ、さらにスペインハプスブルク家の統治へ

18世紀 スペイン継承戦争後、オーストリア・ハプスブルク家に帰属。

1796年 ナポレオンはイタリア戦役でオーストリア人を追い出し、ミラノをチザルピーナ共和国に。
1802年〜1805年 イタリア共和国の首都
1805年〜1814年 イタリア王国の首都

1815年 ミラノはロンバルド=ヴェネト王国としてオーストリアの手に戻ります。

1848年〜 ミラノはイタリア統一運動の中心地に。
1859年 第二次イタリア独立戦争の結果、オーストリアは影響力を喪失。フランスの援助を受けたサルデーニャ王国が、ミラノをオーストリアから奪取。

1861年 ミラノはイタリア王国の一部に編入されました。

参照 「イタリア美術鑑賞紀行」宮下孝晴著