フィレンツェのシニョーリア広場に百合の紋章を持ったライオンの像があります。
名前は「マルゾッコ」ルネッサンス時代の彫刻家ドナテッロの作品です。
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中世のフィレンツェ共和国にとってこのマルゾッコ(あるいはマルズッコ)は市民の力のシンボルでした。
動物をシンボルとして使う伝統は中世の時代に非常に普及していたもので、特に北部から中部のイタリアに見られます。
ピサは鷹
ルッカがヒョウ
ピストイアが熊
アレッツォが馬
シエナは雌狼
ヴェネツィアとフィレンツェライオン

フィレンツェでは「百合の花(実際にはアヤメ科の花)」もシンボルでした。この二つを組み合わせたのが、フィレンツェの「マルゾッコ」です。
語源はラテン語の「martius(戦いの神マルスの)」から来ている、あるいは「Martocus(小さいマルス)」を短くした言葉という説もあります。

詩人ダンテを含め、フィレンツェ市民はが「古代の時代に軍神マルスに捧げられていた」と信じていました。
古代フィレンツェの中心の広場「フォロ」にはマルスの像が立っていて、その像はヴェッキオ橋の近くに移されましたが、1333年の洪水で流されてしまったと言われています。(この時の洪水でヴェッキオ橋自体も流され、その後1345年に造りなおされた橋が現在のヴェッキオ橋です)

14世紀の時代、フィレンツェ共和国の政庁舎ヴェッキオ宮殿の横にはライオンの檻があって、なんと30頭ものライオンが飼われていたそうです。
12世紀にフィレンツェに善き政府をうちたてたグリエルモ(スコットランド王マルコム4世の弟)が「レオーネ(ライオン)」という渾名であったことから、彼に対する感謝の意を込め、ライオンシンボルになりました。初めはサンジョバンニ(同名洗礼堂がある)広場に檻が置かれていましたが、13世紀にヴェッキオ宮殿の裏手に移されます。さらに16世紀にはセンプリチ庭園(メディチ家が造らせた植物園)に移され、18世紀にレオポルド2世によって廃止されるまで、そこでライオンが飼われていたのです。

ドナテッロが彫った「マルゾッコ」のオリジナルは現在、バルジェッロ博物館に置かれています。シニョーリア広場前の作品はコピーです。

ヴェッキオ宮殿の上にあるライオン(宮殿中に展示されているこちらがオリジナル)は風の向きによって、ぐるぐる回るようになっている「風見ライオン」
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こちらも頂上に百合の花がありますので、一種の「マルゾッコ」です。