カサノヴァのため息

ヴェネツィア
10 /14 2012
カサノヴァと言えば、女たらしの代名詞のように使われています。18世紀にヴェネツィアで生まれたジャコモ・カサノヴァは生涯に1000人の女性とベッドを共にしたと言われます。
(あれ?サッカー選手でもそんなことを言っている人がいたような…)
カサノヴァの自伝『我が生涯の物語』にそのような記述があるそうですが、肖像画を見るかぎりそんなにハンサムではないようですが、本人には絵では表しきれない魅力があったのでしょうか?

カサノヴァは俳優の夫婦の間に生まれますが、実は父親は貴族のグリマーニであったと言われます。実際にグリマーニ家の援助で教育を受けたカサノヴァは、頭の回転が早く、知識欲に満ちていました。
ヴェネツィアで教会の法律実務を行ってたカサノヴァは、老評議委員のマリピエロに取り入って社交界にデビュー、女性遍歴をくり返したため、教会のほうは首になってしまいます。
ヨーロッパやコンスタンティノープルを遍歴した後にヴェネツィアに戻ってきますが、彼の魔法・妖術に対する関心のために宗教裁判にかけられ有罪になります。5年間「鉛の監獄」に収監されていましたが、脱獄に成功し、パリに逃亡します。
カサノヴァは時にビジネスマン、外交官、スパイ、政治家、哲学者、魔術師、劇作家でしたが、その生計は彼自身のウィットや社交上の魅力に対して人々が提供する金銭で成り立っていたのだとか。

ちなみに有名な「ため息橋」には、カサノヴァの血縁のグリマーニ家の家紋がついています。これは総督(ドージェ)であったマリーノ・グリマーニの命令で建設されたためです。
ponte di sospiro2
ため息橋は16世紀に白の大理石で造られた橋、ドゥカーレ宮殿の尋問室と古い牢獄を繋いでいます。石でできた格子の付いた窓から、囚人が投獄される前にヴェネツィアの最後の景色を眺めため息をつくというところから、19世紀にバイロンが名づけました。
実際には、この廊下が続く牢やは短期刑の囚人のもので、Prigioni nuovi(新しい監獄)と呼ばれ、監獄専門の目的で世界で最初に造られたものです。カサノヴァが入れられた悪名高いI piombi(鉛の監獄)とは違う場所です。
ponte di sospiro
カサノヴァがこの橋を渡りながら、ため息をついたのかどうか、想像したかったのに残念…
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。