ちぐはぐで、つぎはぎなヴェッキオ宮殿

フィレンツェ市
10 /28 2012
ヴェッキオ宮殿をシニョーリア広場側からではなく、側面から見るととてもちぐはぐな感じがします。
palazzo vecchio
お客様にもよく「どうしてこんな感じになっているんですか?」と聞かれます。

これはヴェッキオ宮殿が時代を追うごとに増築されていって、その外壁に外観を統一するための化粧板などの装飾がされていないためです。

どのようにヴェッキオ宮殿が拡張されていったかを教えてくれる動画があります。

テロップを順番に訳してみました。

『ヴェッキオ宮殿の形態変化』
>ヴェッキオ宮殿が着工される前の中世の町の構造
>ヴェッキオ宮殿の最初の区画は紀元2世紀のローマ帝国の劇場の上に建築されます
>1068年に完成したサン・ピエル・スケラッジョ教会の中で新しい政庁舎の建築が決定されます
>1299年、プリオーリ宮殿またの名をシニョーリア宮殿(後のヴェッキオ宮殿)が着工されます
>最初の段階で宮殿の正面は北側にありました(現在は西)
>ウベルティ家の塔を壊すことによって、ウベルティ広場が造られ、シニョーリア広場の最初の中核になります
>ダンテが執政官になった時は、まだ完成していないヴェッキオ宮殿か政府が購入した近くの建物に住んでいました(任期中は政府の建物に住む決まりです)
>1307〜1315年に最初の区画が完成します
>鐘楼はもともとフォラボスキの塔型住居(バッカの塔とも呼ばれる)の上に建設されました
>1319年から建築後部のへの拡張が始まり、以前からあった建築が改築されていきます
>1335〜1342年、レオーニ通りあたりの住宅は改築され、政府関係者の住宅へとなり、建物正面が繋がります
>宮殿裏手の家と庭を潰すことによってカピターノの中庭がつくられます
>1342年、政府長官がアテネ侯、ブリエンヌ男爵、グアルティエロ6世に移ります
>侯爵は宮殿を要塞化、後部を城壁で囲みます
>(シニョーリア広場の)1356年に聖ロモロ教会が、1386年に聖チェチリア教会が取り壊されます
>1376〜1382年ランツィのロッジャ建設
>14世紀後半、さらに建築が取り壊されることによって、シニョーリア広場が現在の広さに
>1410年、ニンナ通り拡張のため、サン・ピエル・スケラッジョ教会の左側廊が破壊されます
>1496年、クロナカがサーラ・グランデ(500人広間)を、税関の建物を地盤にして完成
>1540年、メディチ家のコジモ1世が宮殿に入る
>以前にあったロッジャを吸収する形で、宮殿と500人広間を繋ぐ部分を建設
>1541年より、コジモ1世の政府のため、タッソとヴァザーリが宮殿を改築
>タッソがドガーナの中庭の外にある200~300年代の家を改築
>ヴァザーリの監督により、500人広間が現在の様子に
>ヴァザーリは宮殿をコジモ1世の住居へと適応させる
>1587年、アンマンナーティがゴンディ通りとレオーニ通りに面した部分を改築、第3の中庭ができます
>アンマンナーティの工事により中世の町の跡は消え失せ、建物後部が完成
>16世紀後半、メディチ宮廷はピッティ宮殿へ移動し、政庁舎はヴェッキオ(古い)宮殿と呼ばれるように
>19~21世紀、政府の移り変わりに関連して宮殿の改築も行われます
>近年で最も大きかった改築はイタリア統一時、フィレンツェが首都であった時代に行われました

ヴェッキオ宮殿の改築と言えば、何と言ってもヴァザーリの主導なんですが、けっこうアンマンナーティも活躍しているのですね。それにしても500人広間は内部は壮麗なのに、外部が祖末すぎる感じがします。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。