菜園の大天使ミカエル

フィレンツェ市
11 /10 2012
フィレンツェ中心街にあるオルサンミケーレ教会。
ドォーモ広場とシニョーリア広場を繋ぐカルツァイォーリ通りの半ばあたりに位置します。
ここにはもともと大きな菜園を持った尼僧院があり、菜園の中に素朴な祈禱所が建っていました。8世紀頃に祈禱所に代わって大天使ミカエル(伊語 ミケーレ)に捧げられた教会がつくられます。そこで「菜園の大天使ミカエル San Michele in Orto」という言葉から「オルサンミケーレ教会」と呼ばれるようになります。
orsanmichele3

教会は13世紀に取り壊され、代わりに穀物市場に使われるロッジャ(開廊)が建設されました。おそらく1290年にアルノルフォ・ディ・カンビオの手によって建設されたものと考えられます。その柱にはフレスコ画「大衆のマドンナ」描かれていましたが、これが奇跡を起こすということで市民の信仰を集めてました。

1304年の火事でロッジャは損傷し、1337〜1350年にSimone Talenti,、Neri di Fioravante、Benci di Cioneによって現在の姿に再建築されます。
火事で失われた「大衆のマドンナ」の代わりに、ベルナルド・ダッディが「恩寵のマドンナ Madonna delle Grazie」を描いたのが1347年。この頃に建物一階のアーチが閉じられ、教会として使われるようになりました。

絹織物の同業者組合が外壁に壁龕を設け、それぞれの同業者組合(アルテ)の守護聖人の像を設置できるように、フィレンツェ政府に許可を申請します。15世紀初期に許可が降りた時には、すでにいくつかのアルテは胴像を製作していました。こうして14の壁龕に彫像がずらりと並ぶようになり、屋外美術館のような様相になります。
オルサンミケーレ

彫像は大理石作品とブロンズ作品があるのですが、18~19世紀に大理石作品をブロンズのように見せかけるため、大理石表面に上塗りしたそうです(薔薇のマリア像だけは、当時教会の内部に展示されていたので、このような作業は施されませんでした)

1960年から、ようやく彫像の修復が始まり、修復が終わった作品は現在は建物上部のオルサンミケーレ美術館に展示され、外部にはコピーが設置されています。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。