メルラの日々

イタリアのトリビア
02 /03 2018
1年で一番寒い季節、大寒は1月20日~2月3日の時期です。
イタリアもこのころが一番寒いとされています。
1月29日、30日、31日の3日間を「giorni della merla メルラの日々」と呼びます。

メルロという鳥は、大型ツグミの一種で日本名は「クロウタドリ」または「黒ツグミ」
名前のとおり、黒い羽根に黄色いくちばし。美しいさえずりを聞くことができます。
観光中によくお客様から「あの鳥はなんという種類ですか?」と質問されます。
メルロ
メルロのメスがメルラです(aで終わると女性名詞)
メスはオスに比べると羽の色が薄くなっています。

どうして一番寒い時期を「メルラの日々」と呼ぶようになったのか?
いくつかの伝説、また地方によっては違う言い伝えがあるようです。

伝説では…
その昔、メルロはオスもメスも黒い羽の色をしていました。
1月末のとても寒い時期、メスと雛が寒さから逃れるために、ある家の煙突の中に避難しました。
寒さが去り、2月1日に煙突から出てきた時には煤煙によって羽が灰色になっていました。


もう一つの伝説…
その昔、1月は28日しかありませんでした。寒い中に餌を探すのに疲れたメルラは1月中は巣にこもり、2月に巣から出てきて「してやったり」と1月をあざけて歌いました。これを恨みに思った1月は2月から3日間を借り、もっとも凍てつく日々にしました。メルラはこっそりと暖炉の中に隠れ、出てきたときには羽が灰色になっていました。

ヨーロッパではメルロは春を感じさせる鳥ともされています。
メルラの日々も過ぎ、春はもうすぐそこに来ています。

ルネッサンスの墓碑はカタコンベから

芸術を読み解く
01 /30 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会、旧聖具室にメディチ家当主ピエロの墓があります。
大理石、ブロンズ、斑岩、灰色砂岩を使い、アンドレア・デル・ヴェロッキオが1469〜1472年に制作した作品です。
tomaba piero
正確には「旧聖具室」と隣の「聖遺物の礼拝堂」の中空層に位置していて、とても変わった墓碑です。

墓碑はメディチのロレンツォ豪華王の注文により制作され、ロレンツォの父親ピエロと叔父ジョヴァンニの二人を弔ってあります。

上部にアーチを持つ壁龕に棺を設置する墓碑は「アルコンソリウム(伊語 アルコンソーリオ)」と呼ばれる様式で、初期キリスト教回の地下墳墓(カタコンベ)の典型的なものでした。

13世紀にこの様式は復活しますが、この頃は上部に先頭アーチを持っていました。
これがルネッサンスの時代には古代と同じ丸いアーチとなります。
このスタイルの代表的な作品はサンタ・クローチェ教会の中にある2つの墓碑です。

レオナルド・ブルーニの墓碑(ベルナルド・ロッセッリーノ作)
tomba leonardo

カルロ・マルスッピーニの墓碑(デズィデーリオ・ダ・セッティニャーノ作)
tomba carlo

そしてピエロの墓碑のそれぞれのモチーフは、他の芸術家から影響を受けたものです。
◉植物の渦巻き模様やライオンの脚←「マルスッピーニの墓碑」
◉棺の中央に蛇紋岩のメダル←ルカ・デッラ・ロッビア作「フェデリーギの墓碑」(サンタ・マリア・ア・ペレートラ教会)
◉棺の下の台座の四隅が亀の背に乗る←アントニオ・デル・ポッライオーロ作「ヘラクレスとアンタイオス」
◉二つの部屋の中空層に位置←ロッセリーノ作「ネーリ・カッポーニの墓碑」(サント・スピリト教会)

ちなみにこの「ピエロの墓碑」からレオナルド・ダ・ヴィンチが影響を受け、「受胎告知」(ウッフィツィ美術館)の書見台のモチーフにライオンの脚などのモチーフを描いたと言われます。「ピエロの墓碑」を製作したヴェロッキオのもとでレオナルドは14〜21歳のころまで修行していました。

聖ロレンツォの殉教

ドゥオーモ地区
01 /29 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会に大きなフレスコ画「聖ロレンツォの殉教」(ブロンズィーノ作)があります。
san lorenzo
ブロンズィーノが描く人物達のねじれたポーズには、ラファエロやミケランジェロからの影響が見えます。

ロレンツォ(ラウレンティウス)はスペイン生まれの3世紀の聖人です。
ローマ教皇の執事として、教会財産の管理と、貧しい人々への施しを担当していました。ローマ皇帝の命により逮捕されたロレンツォは、生きながら熱した鉄格子の上で火あぶりにされました。その時に兵士に向かって「こちら側は焼けたから、もうひっくり返してもよい」と言ったというエピソードがあります。

フィレンツェを支配したメディチ家の中には「ロレンツォ」の名を持った人物が何人かいます。メディチ邸宅に近いこの教会の名前から由来しているのでしょうか?

またフィレンツェ名物料理に「Tボーンステーキ」がありますが、メディチ家は8月15日のサンロレンツォの祭りに牛肉を焼き、庶民に振る舞っていたとか。
火あぶりの刑に処され聖ロレンツォの祭りにステーキを焼く。
なんだかとってもブラックジョークに感じるのは私だけですか?

ちなみに上のフレスコ画を描いたブロンズィーノも貧しい肉屋の息子だったそうですよ…

メディチ栄光の始まりと終わり

ドゥオーモ地区
01 /27 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会はメディチ邸宅に近い位置にあり深い繋がりを持っています。15世紀に教会が改築された折にはメディチ家が融資し、同家の重要人物の墓所ともなりました。

聖堂内陣の地面には15世紀のメディチ家当主「Cosimo de' Medici, pater patriae 祖国の父コジモ・デ・メディチ」の墓の位置を表す象眼細工が見られます。
コジモの墓
この石の下、クリプタ(地下祭室)にコジモは眠っているのです。

主祭壇の前の床という、本当であれば聖人の墓か重要な聖遺物が設置される貴重な場所。
裕福であったとはいえ、単なる一市民である人物がこの位置を占有していることは、メディチ家がロレンツォ教会にとって重要な存在であったことを示しています。

そして主祭壇の上にあるクーポラには天井画が見られます。
cupola di sl
フレスコ画装飾は1742年に、メディチ家最後の一人アンナマリア・ルドヴィカによって注文され、ヴィンチェンツォ・メウッチが手がけました。彼女が亡くなるのが1743年、天井画はその前の年に注文されています。
題名は「フィレンツェの聖人たちの栄光と4人の教父」

※教父(padri della chiesa)とは、2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家で、とくに正統信仰の著述を行った人々。

祖先のコジモはフィレンツェにて芸術家を保護し、大きな建築のスポンサーとなった最初の世代の市民です。そこから始まったメディチ家の莫大な芸術コレクション。家系最後のアンナマリアが「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈しました。

「気前が良いことは美徳」と現世の利益を肯定したルネッサンス時代を生きたコジモ、その心を継いだ末裔アンナマリア。
この空間に立つ時、二人を繋ぐ糸が見えるような気がします。

ドナテッロの遺作「復活の説教壇」

ドゥオーモ地区
01 /26 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の中にはドナテッロ作の2つの説教壇があります。

pulpito della Passione(受難の説教壇)
pulpito della Resurrezione(復活の説教壇)


前回の日記では「受難の説教壇」を紹介しましたので、今回は「復活の説教壇」です。
fukkatsu4
ドナテッロが晩年の1460年に制作した作品です(ドナテッロは1466年に亡くなります)
「受難の説教壇」は鋳造の作業も含めて、ほぼドナテッロ自身の手によるものと考えられています。

革新的な構図、外形の歪み、自由なスタイル…彼の創作力の極みにある作品です。

一部は洗練されていない「未完成」のように見えます。これは彼の他の作品にも見られ、生々しい感情を表現するために用いられたドナテッロの晩年の作風でした。絵画でいえばまるでスケッチのようです。鋳造のプロセスの跡が残っているように見える部分もあります。

パネル
「墓所の女たち」(西側)
「辺獄への降下」(南側)
「復活」(南側)
「昇天」(南側)
「ペンテコステ」(東側)
「聖ロレンツォの殉教」(北側)
「嘲笑されるキリスト」(北側、17世紀木製)
「福音書記者ルカ」(北側、17世紀木製)


「墓所の女たち」
3人の女性がそれぞれの違う悲しみの様子を表現しています。まだ天使のお告げを知らない女性は軟膏が入った壺を抱え、天使と話している女性は驚いた様子、最後の女性は空になった棺の上で体を折って悲しんでいます。

南側の3場面が一番重要です(教会の中心部を向く側です)
復活2
「辺獄への降下」
キリストよりも前に死んだ預言者や聖人(洗礼者ヨハネを含む)を辺獄から天国に導くキリストです。逃げようとする悪魔の姿も見えます。

「復活」
この場面ではキリストを頂点に三角形の構図を取ることが伝統的ですが、ドナテッロは左端にキリストを寄せ、場面全体に対して君臨するように設置しています。

「昇天」
柵に囲まれた部屋に場面を設定しています。巨大化したキリストはマリアや弟子たちに囲まれていますが、誰とも肉体のコンタクトはありません。キリストが挨拶しているのは弟子たちなのか、説教壇の下にいる信者たちなのか…

「ペンテコステ」
復活3
辺獄への降下や、復活の場面と同じ背景で、使徒たちはそれぞれのシンボル(ピエトロはナイフ、アンドレアは十字架、ヤコブは巡礼杖…)を足下に置いています。上部の精霊が炎を放ち、マリアや使徒たちの頭上に灯ります。

「聖ロレンツォの殉教」
復活1
大きな部屋に設定されていて、強く浮き上がる浮き彫りで表現されているロレンツォが焼き網の上で苦しんでいます。指揮棒を持って処刑を命令している人物、先が二股に割れた棒で聖人の頭を焼き網に押し付けようとする処刑人、無感情な様子で処刑を見守る兵士、転がる死体、殉教の印である棕櫚の葉を持ってロレンツォを力づける天使の姿も見えます。

参照 Antonio Paolucci e Francesca Petrucci, Donatello in San Lorenzo a Firenze, Edizioni Bolis, Bergamo 1995

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。