ルネッサンス最後の傭兵隊長

ロンバルディア州
06 /09 2018
「マントヴァの町でジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレが死んだ場所に行きたい」というお客様の希望により、探して行ってきました。
giovanni delle bande nere

ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレはメディチ家の一人で、初代トスカーナ大公コジモ1世の父。有名な傭兵隊長でした。
同じくメディチ家出身の法王レオ10世のもとで軍人になるための訓練を受け、教皇軍の指揮をとりました。
イタリア戦争でカール5世の皇帝軍と戦い、「ルネッサンス最後の傭兵隊長」と賞讃されています。
レオ10世が亡くなった時に、黒い帯を彼の記章に付け加え「デッレ・バンデ・ネーレ(黒帯の)」という通名が付くようになります。

1526年、コニャック同盟戦争にてマントヴァ近郊で右足を砲弾で砕かれました。

コニャック同盟戦争とは、1526年から1530年まで起きた、神聖ローマ皇帝カール5世とコニャック同盟(フランス王国、教皇クレメンス7世、ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、イングランド王国)の間の戦争です。

この時もジョヴァンニは教皇軍を率いていました。命取りとなった砲弾はアルフォンソ・デステによって供給されたものである可能性があります。
運ばれた村に医者がいなかったため、マントヴァに連れていかれそこで足を切断する手術を受けています。

この時の様子をピエトロ・アレティーノが手紙に書いています。

「20人でも」笑いながらジョヴァンニは言った「私を押さえつけることができないだろう」
そして手にロウソクを持ち、自らを照らし出した。
私はその場から逃げ、耳を塞いだ。たったふた声の後、私は呼ばれた。
彼の元に戻ると彼は言った「私は治った」周りいた全ての人間が歓声を上げた。

しかし壊疽によって数日の後にジョヴァンニは死に至ります。

亡くなった場所はやはり傭兵隊長であったアローズィオ・ゴンザーガの邸宅で、ガンブリーニという塔が建っています。12世紀にガンブリーニ家が建てさせた建築物で、後にゴンザーガ家の所有となっていました。
ガンブリーニ
内部にも入ってみたのですが、現在は国家記録保管所になっていて昔の面影らしいものはありませんでした。

参照 Giovanni delle Bande Nere

カフェを練りこんだパスタ

パドヴァ
06 /08 2018
パドヴァの有名なカフェ・ペドロッキの様子をご紹介します。
このカフェの歴史については、以前書いた日記を参考に→カフェ・ペドロッキ

地上階はそれぞれ椅子張りの色から「白の間」「赤の間」「緑の間」と呼ばれています。これは1861年のイタリア統一時からのスタイルです。イタリアの国旗の色ですね。

パドヴァ大学側の入り口は「白の間」
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ランチのホールは「赤の間」です。
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クロスがかけられているので写真ではわかりませんが、テーブルは大理石製です。

そして「緑の間」
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市民がカフェを注文しなくても新聞を読んでもいい場所になっていました。貧しい学生の集会場所だったそうです。
今もここで人々が新聞を読んでいました。テーブルにはコーヒーカップなどが見られず、今も消費せずに新聞を読めるようになっているようです!

ランチはウェイターさんから勧められたカフェの特別メニューをいただきました。
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カフェが練りこまれているパスタ。ちょっと苦い味がします。上にはズッキーニとミントの葉がのっています。プラスで海老をつけることもできます。

そして定番のカフェ・ペドロッキ
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エスプレッソにパンナクリームとミントシロップを上からそっと注いでます。スプーンが無いのは、そのままかき混ぜないで飲むのが作法だから。熱いエスプレッソと冷たいパンナとミントの温度差を口の中で楽しみます。

聖なる殉教者の十字架が町を守る?

エミリアロマーニャ州
06 /07 2018
ボローニャで一番大きい教会、サン・ペトローニオ。
このフィレンツェガイド日記でも何回か紹介してきましたが、今日は内部の展示物で気になったものをご紹介します。

教会ファサード中央にあるポルタマーニャ。
15世紀のヤコポ・デッラ・クエルチャの作品で、ルネッタの聖母子像はミケランジェロのピエタ像に、左右のパネルの創世記はやはりミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に影響を与えたとされます。
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教会内部にこのパネルの漆喰のコピーが展示されています。
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アダムの筋骨隆々の様子や神様の威厳ある姿に、なるほど中世の彫刻と比べて革新的な作風であることがわかります。
扉では遠くからしか鑑賞できないので、細部もわかって面白いです。

そしてこちらはなんとトリノ大聖堂に保管されているシンドネ(聖骸布)を参照に作られたイエスの彫像。
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シンドネはイエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺体を包み、キリストの風貌を写したという布です。
この像を見るとキリストはけっこう背が高かった?
シンドネの真偽はさておいて、なかなか興味深いです。

「聖なる殉教者の十字架」
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4世紀終わりに聖アンブロージョによって、あるいは5世紀に聖ペトローニオによって、町の周辺に4つの十字架が建てられました。そのうちの1つがこの「聖ファビアーノと聖セバスティアーノの十字架」です。
ボローニャの町を霊的に守る囲み地の印だったとか…結界??
このような十字架は他の町にもあったのでしょうか?少なくともフィレンツェでは聞いたことがありませんが。

ユピテルの雷光に焼かれたセメレ

芸術を読み解く
06 /06 2018
マントヴァのドゥカーレ宮殿の中で、ヴェネツィアの画家ティントレットの特別展が行われていました。
ヴェネツィアルネッサンスの第一人者であるティツィアーノでさえ嫉妬したという、ティントレットの画才。

この作品でもユピテルの力強い神々しさが上手く表現されていると思います。
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ユピテルといえば白鳥に化けたり、雨に化けたりして、女性に近づき妊娠させてしまう困った神様ですが…

セメレはギリシアの都市テーバイの建設者カドモスの娘でした。
ユピテルの子を孕んだため、ユピテルの妻ユノが嫉妬してセメレをそそのかします。
「一度だけ神の栄光に満ちた姿で自分を愛してください」と、ユピテルに頼むように。
ユピテルが本当の姿を表すと、その雷光の力はセメレを焼き尽くしてしまいました。
メルクリウスはセメレの胎児をユピテルの太ももに縫いこんで救います。
この時、胎児は6ヶ月。3ヶ月ののちに生まれ出でた子供がバッコス(ディオニュソス)です。

作品の一部が修復のためなのか暗くなっていて、画面全体に広がっていただろうユピテルの炎が見えなくなっているのが残念です。

参照「西洋美術解読事典」ジェイムズ・ホール

ボローニャ大学の解剖学教室

エミリアロマーニャ州
06 /05 2018
ヨーロッパで一番古いボローニャ大学については以前の日記にも書きました→「アルキジンナーズィオ」

今日は大学内の解剖学教室で新たに撮った写真を紹介します。

1637年に建設された解剖学教室にはモミ材が使われ、天井は格天井、筋肉や血管などを学べる人形が設置されています。授業に使う遺体が入手できない時に代わりに人形を使っていたそうです。
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天井中央にはアポロンが飛翔しています。竪琴があるためにすぐにアポロンだとわかります。
周囲には様々な星座のシンボルが見られます。
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ローマ帝国で活躍したギリシャ人の医師、ガレノスの像
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ガレノスは最も偉大な古代の医師のひとりです。「血液・粘液、黄胆汁・黒胆汁」を基本体液とし、その調和によって人間の気質が決まるとする四体液説を採用していました。

ボローニャ出身の鼻整形術の先駆者タリアコッツィの像
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16世紀の人物です。よく見ると手に「鼻」を持っていることがわかります。

こちらは展示されていた16世紀の医術書。
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「骨折した部分をどのように伸ばすか」の技術が記されています。

解剖学教室は入場料が必要ですが、ガイドツアーに参加しなくて自由に見学できます。また各国語で書かれた説明書もおかれています。人数制限があるパドヴァ大学の解剖学教室に比べると制限がなくていいですね。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。