メディチ栄光の始まりと終わり

ドゥオーモ地区
01 /27 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会はメディチ邸宅に近い位置にあり深い繋がりを持っています。15世紀に教会が改築された折にはメディチ家が融資し、同家の重要人物の墓所ともなりました。

聖堂内陣の地面には15世紀のメディチ家当主「Cosimo de' Medici, pater patriae 祖国の父コジモ・デ・メディチ」の墓の位置を表す象眼細工が見られます。
コジモの墓
この石の下、クリプタ(地下祭室)にコジモは眠っているのです。

主祭壇の前の床という、本当であれば聖人の墓か重要な聖遺物が設置される貴重な場所。
裕福であったとはいえ、単なる一市民である人物がこの位置を占有していることは、メディチ家がロレンツォ教会にとって重要な存在であったことを示しています。

そして主祭壇の上にあるクーポラには天井画が見られます。
cupola di sl
フレスコ画装飾は1742年に、メディチ家最後の一人アンナマリア・ルドヴィカによって注文され、ヴィンチェンツォ・メウッチが手がけました。彼女が亡くなるのが1743年、天井画はその前の年に注文されています。
題名は「フィレンツェの聖人たちの栄光と4人の教父」

※教父(padri della chiesa)とは、2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家で、とくに正統信仰の著述を行った人々。

祖先のコジモはフィレンツェにて芸術家を保護し、大きな建築のスポンサーとなった最初の世代の市民です。そこから始まったメディチ家の莫大な芸術コレクション。家系最後のアンナマリアが「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈しました。

「気前が良いことは美徳」と現世の利益を肯定したルネッサンス時代を生きたコジモ、その心を継いだ末裔アンナマリア。
この空間に立つ時、二人を繋ぐ糸が見えるような気がします。

ドナテッロの遺作「復活の説教壇」

ドゥオーモ地区
01 /26 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の中にはドナテッロ作の2つの説教壇があります。

pulpito della Passione(受難の説教壇)
pulpito della Resurrezione(復活の説教壇)


前回の日記では「受難の説教壇」を紹介しましたので、今回は「復活の説教壇」です。
fukkatsu4
ドナテッロが晩年の1460年に制作した作品です(ドナテッロは1466年に亡くなります)
「受難の説教壇」は鋳造の作業も含めて、ほぼドナテッロ自身の手によるものと考えられています。

革新的な構図、外形の歪み、自由なスタイル…彼の創作力の極みにある作品です。

一部は洗練されていない「未完成」のように見えます。これは彼の他の作品にも見られ、生々しい感情を表現するために用いられたドナテッロの晩年の作風でした。絵画でいえばまるでスケッチのようです。鋳造のプロセスの跡が残っているように見える部分もあります。

パネル
「墓所の女たち」(西側)
「辺獄への降下」(南側)
「復活」(南側)
「昇天」(南側)
「ペンテコステ」(東側)
「聖ロレンツォの殉教」(北側)
「嘲笑されるキリスト」(北側、17世紀木製)
「福音書記者ルカ」(北側、17世紀木製)


「墓所の女たち」
3人の女性がそれぞれの違う悲しみの様子を表現しています。まだ天使のお告げを知らない女性は軟膏が入った壺を抱え、天使と話している女性は驚いた様子、最後の女性は空になった棺の上で体を折って悲しんでいます。

南側の3場面が一番重要です(教会の中心部を向く側です)
復活2
「辺獄への降下」
キリストよりも前に死んだ預言者や聖人(洗礼者ヨハネを含む)を辺獄から天国に導くキリストです。逃げようとする悪魔の姿も見えます。

「復活」
この場面ではキリストを頂点に三角形の構図を取ることが伝統的ですが、ドナテッロは左端にキリストを寄せ、場面全体に対して君臨するように設置しています。

「昇天」
柵に囲まれた部屋に場面を設定しています。巨大化したキリストはマリアや弟子たちに囲まれていますが、誰とも肉体のコンタクトはありません。キリストが挨拶しているのは弟子たちなのか、説教壇の下にいる信者たちなのか…

「ペンテコステ」
復活3
辺獄への降下や、復活の場面と同じ背景で、使徒たちはそれぞれのシンボル(ピエトロはナイフ、アンドレアは十字架、ヤコブは巡礼杖…)を足下に置いています。上部の精霊が炎を放ち、マリアや使徒たちの頭上に灯ります。

「聖ロレンツォの殉教」
復活1
大きな部屋に設定されていて、強く浮き上がる浮き彫りで表現されているロレンツォが焼き網の上で苦しんでいます。指揮棒を持って処刑を命令している人物、先が二股に割れた棒で聖人の頭を焼き網に押し付けようとする処刑人、無感情な様子で処刑を見守る兵士、転がる死体、殉教の印である棕櫚の葉を持ってロレンツォを力づける天使の姿も見えます。

参照 Antonio Paolucci e Francesca Petrucci, Donatello in San Lorenzo a Firenze, Edizioni Bolis, Bergamo 1995

ドナテッロの遺作「受難の説教壇」

ドゥオーモ地区
01 /21 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の中にはドナテッロ作の2つの説教壇があります。

pulpito della Passione(受難の説教壇)
pulpito della Resurrezione(復活の説教壇)


「passione 受難」とは神学用語で、イエス・キリストの裁判と処刑における精神的および肉体的な苦痛を表現する言葉です。

1460年ごろ〜 制作開始。2つの説教壇はドナテッロの生涯最後、70歳代の作品です。
ドナテッロはこの作品の設計からデザインを手がけ、助手のバルトロメーオ・ベッラーノやベルトルド・ディ・ジョヴァンニの手を借りながら一部制作にも携わっています。

1515年 メディチ家出身の法王レオ10世のフィレンツェ訪問。この時に現在見られるような4本の円柱に支えられた設置方法が取られました。ドナテッロの死後かなり経っています。

1558〜1565年 再びパネルが組み立てられます。

1616年 1634年 未完成であった2枚の木造パネルが付け加えられます。

どの部分が師匠の手によるものなのか、誰が注文主なのか、不明な部分が多く残っています。
元は説教壇ではなく、コジモとその妻、あるいは子供のジョヴァンニの棺桶として制作されたと推察する学者もいます。
また聖歌隊席だったのでは?とも考えられています。

「受難の説教壇」の個々のパネルは、縦のラインが入った柱によって区切られています。

「埋葬」(西側)「菜園の祈り」(南側)←物語の始まり
「鞭打ち」(南側)17世紀、木製
「福音書記者ヨハネ」(南側)17世紀、木製

pulpito3

「ピラトとカイファの前のキリスト」(東側)
pulpito2

「磔刑」(北側)
「哀悼」(北側)

pulpito1
磔刑の場面では悲しみに佇むばかりの人、泣き叫ぶ人、様々な強度の感情が表現されています。

「受難の物語」で重要な「最後の晩餐」の場面が入っていないのですが、おそらく聖体の儀礼が日常的に行われる主祭壇に近い位置にあることから省かれたと考えられています。

登場人物は場面を区切る柱の上にもはみ出していて、空間が自由に使われています。

聖遺物のトリブーナ

ドゥオーモ地区
01 /20 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂のコントロファッチャータ(建築正面部分の内側の壁)はミケランジェロによって、1531〜32年に建設されました。
tribuna1
この上部を「tribuna delle reliquie 聖遺物のトリブーナ」と呼びます。
聖遺物は聖人に関係した遺物、トリブーナは「観客席、演壇、特別席、論壇、回廊状の2階席」といった意味があります。

2回目にメディチ家がフィレンツェの街から追放された時、ロレンツォ豪華王が収集した聖遺物は邸宅から略奪されました。メディチ家が街に復帰した時に聖遺物はロレンツォの息子のレオ10世によって買い戻され、そのいとこであったクレメンテ7世の希望により、これらを保存・展示する場所を設けることになったのです。

最初のプロジェクトは主祭壇の上にチボリウム(聖体用祭壇)を儲けるものでしたが、壁のかなりの部分を覆ってしまうということでスポンサーから却下されました。
san lorenzo
確かに聖体用祭壇を設けたら、ブルネレスキの清廉な建築スタイルの邪魔になっていたかもしれません。

こうしてファサードの扉の上にバルコニーを設ける設計にたどり着いたのです。バルコニーも三つの扉の縁取りも白大理石です。扉の後ろには木製の棚があり、そこに半貴石の食器や聖遺物などが設置されています。

黄色いポスト

イタリア旅行の得ワザ
01 /19 2018
旅行先から絵葉書を送りたいと思う人は多いですよね。
それが郵便事情の悪いイタリアからであっても。
そしてメールやSMSで連絡を取ることが多い現代でも。

以前は「切手は郵便局かタバッキ(たばこ屋さん)で買えますよ」と案内していましたが、現在はちょっと違います。

タバッキで買える切手はGPS(Globe postal service)と呼ばれる会社のものになっていて、イタリアの郵便局(ufficio postale)の切手とは別物です。

そして投函するポストも別のものになっていますので気をつけましょう。
posta1
こちらがGPSの切手、日本まで2,5ユーロです(ちなみに郵便局の切手は日本まで2,2ユーロ)

赤いポスト(郵便局)には入れないでね!と注意書きがあります。
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黄色いポストはタバッキに設置されています。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。